モデナの家に日本から来た親戚一同を連れて移動。

結婚式のパーティーは自宅でしたから、前日は大きな屋外テントが張られ、家の中もケータリングスタッフが準備に余念がない。私たち日本人チームは結婚パーティーの最後に、招待客に渡すBonboniere(ボンボニエーレ)の準備を始めた。

ボンボニエーレとはConfetto(コンフェット:アーモンドなどを入れて糖衣をかぶせた小粒の菓子)を工夫を凝らしてお洒落に包み、小さな飾りや置物などとセットにしたもの。感謝の気持ちを込めてパーティーの参加者に配る。マックスと是非日本とイタリアの文化の融合というものがいいであろうと、私たちが選んだのは漆の銘々皿。

中央に両家の家紋を入れたもの。包装には白石和紙を選んだ。宮城県白石市は母の出身地。

東大寺のお水取りの衣装のかみしもに毎年奉納されていた遠藤まし子さんという国宝級の方に、特別に漉いて頂いたものを使い、紅白の絹紐で結んだ。

この結婚式の前日にドレスが出来上がることになっており、17時に最終縫い取りを合わせ、取りに行くことになっていた。が、が、がである仕立て屋から電話、まだできてないって!!!

ともかく夜までに仕上げて家までお持ちします。という。この花嫁衣装、実は祖母の古い着物をリフォームし、ジャケットにはまだ染める前の縮緬を使い、友人のデザイナー、マリアナメンデツにその年の2月彼女のパリコレクションの展示会真っ最中に、会場まで行ってお手伝いをすることになっており、連日日本からのバイヤーの相手や通訳やら手伝い、夜コレクションが終わって後にデザインしてもらった曰く付きのもの。スペインから到着したマリアナ、ドレスが着てないことを知り、最終縫い取りはデザイナーとして付き合ってくれる。という

なんと仕立て屋が到着したのは22時!これは今でも日本人の親戚の語草である。

「もし気に入らない点があったら、はっきりいうこと!貴方の一生で一度の結婚式なのだから。プロの仕立て屋なら明日までに仕上げられるから心配はいらないのよ!」

と。デザイナーの立ち合いに加え、そんなコメントで震え上がったのは、ちょっとオネエぽい仕立て屋さん

「もう連日ヘルペスができるまで、頑張って作ったのよ。この絹はミシンで縫えなくて、手縫いが多くって大変だったのよお。だからこんなに時間が云々」

着物の幅は狭い。しかも日本の絹織物にミシンはほぼ不可能というのが最大のネックだったらしい。

5月に入ってから、天候が思わしくない。結婚式の当日5月5日の朝はお日様が現れた。式は18時からである。ノナントラの教会で式を挙げるのはルチアーノ神父。日本の種子島になんと20年もミッションでおられた方で、イタリア語と日本語で式をしてくださった。

が、結婚宣誓はイタリア語で言わなければならない。と当日に覚えて言えって言われても無理ですよ、マックスも僕も無理というそれじゃあ読んでいいよということで落ち着いた。

ほっとしたのも束の間。指輪の交換で、事もこともあろうに、マックスが差し出したのは右手!はめて少ししてから、私が気付き、突っついて教える。

やれやれこれで、終わりと思ったらいきなり日本語で、あかねさんのお父さんから一言どうぞ。驚いたのは父である。そんな話初めて聞いたのである。もうアドリブ、イタリア人にやられっぱなしであった。

そんな結婚式の様子はフォルニ家長男、サムライとの娘と結婚という写真入りので地元紙に掲載されたのである。

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。