伝統的な製法で作られたバルサミコ酢の出会いは、ちょうど主人と付き合い始めた2004年、ヨーロッパに住んで初めてのクリスマス。
当時ドイツに留学していた妹を訪ねて、ベルリン郊外の妹の友達のドイツ人の一家のおうちに招かれてクリスマスイブと、クリスマスを過ごし、妹は友人とどこかへ出かける予定があると言うし、クリスマスの飛行機代が格安で手に入ったから、クリスマスの夜にミラノに飛び、マルペンサからミラノの中央駅へバスで着く。
いつもよりずっと人通りのない夕方のミラノ中央駅。それもそのはず、なんとショーペロ(スト)で地下鉄、トラムは18時以降動いていないと言う。長蛇の列のタクシー乗り場に並ぶこと小一時間。
日本では12月24日にクリスマスイブをなんとなく祝ったら、25日はどこもクリスマスツリーは取っ払われて、お正月飾りに代わるから、あまりクリスマスはどう言う日であるのか?移動がなぜ安いのか?など考えが至らなかったと言うのが大誤算だったわけである。
おしゃべりな運転手との世間話でショーペロするのがが正当(?)に思えてきた。
「そりゃ、ショーペロは当たり前だよ。クリスマスは家族と過ごすもんだろう。地下鉄やトラムの運転手だって、早退けして家族とゆっくり今夜は過ごしてるよ。俺だって、あんたで今日は最後だよ。家族が待ってるからねえ。あんたクリスマスにたった1人でかわいそうに。今外国から着いたんだろう?ミラノで過ごす家族はいるのかい?」と同情され、運転手の家まで引っ張っていかれかねない雰囲気だったから、「いやいやこれからイタリア人の家族と過ごすから大丈夫。見てこの大荷物全部クリスマスプレゼントよ。」と言っていたらやけに安心されて、空いてたからクリスマスプレゼントだよ!と低価格でミラノの家まで乗っけてもらった。

実際は10世帯以上が入居しているアパートの住人がどこも留守という、バカンス時期のミラノの家で1人悠々と過ごしたのだった。
サッパリなドイツ語、ドイツ人ファミリーの中で散々クリスマスを過ごした数日間で疲れていたから、たった1人で過ごすのは開放感大だったと言うのが本音。
とはいえ、次の日列車でモデナへ
「1人で過ごすクリスマス休暇は1人じゃかわいそうだから、うちにおいでよ。」と当時付き合っていた主人に誘われ、今住んでいるモデナの家に招かれていた。
モデナ駅まで、主人と義弟が車で迎えにきてくれて、その足で大聖堂のSanto Stefano(聖ステファノ)のミサに連れて行かれ、ヨーロッパ人はなんてミサに行くのが好きなんだろう。と感心したのだけど、それは敬虔なクリスチャンの家庭だからと言うのを結婚してから知った次第である。
1週間ほどモデナに滞在したのだけれど、その時お義父さんに、代々受け継がれているバルサミコ酢の樽を初めて見せてもらった。
今から20年近くの話ですから、日本にはシャバシャバした工業製品のバルサミコ酢なるものが入ってきたか,来ないかそんな当時。甘くて黒いイタリアの酢。くらいにしか考えたこともなかった私。どんなふうにバルサミコ酢を醸造しているかなど、考えもしなかった頃。
冬のモデナは、太陽の国イタリアの名前を返上したくなるような、濃霧。
400年前に作られたと言う重厚な煉瓦造りの建物の鉄階段を滑らないように上がり、観音開きの間抜きがかかった木の扉を開けた瞬間に、香りに圧倒される。
電気をつけなければ、昼間でも真っ暗な屋根裏部屋の中には、9つの大きな樽のセットが並んでいました。パッと見ただけでも、10年20年と言う古さの樽でないとことは一目瞭然。
なんだか真っ黒な樽の匂いを嗅いでみてと言われ、恐る恐る顔を近づけると、立ちすくむような不思議な香り。お酢だと言うのにものすごく複雑な香りで、それまで私が食べたことのあるバルサミコ酢というものとは全く違うものがそこにはありました。
家の中に戻ると、小瓶に詰めた真っ黒な樽から採った真っ黒なドロリとした液体を味見させてもらいまたびっくり。ものすごい芳香と、優雅な甘さ、後から来る酸味。さらりと姑に200〜300年前から使っている樽だからね。と私の拙いイタリア語の理解で、年数を聞き間違えたと思い聞き返したら、どうやら間違いではないらしい。気に入ったかい?とお土産にバルサミコ酢の小瓶までもらったのが本物のバルサミコ酢を知った瞬間。
ここから人生が変わったのかもしれない。
続きます。