またしてもすっかり時間が空いてしまいましたが、2024年9月にイタリア海軍士官高校に入学して数週間後、1年経った今となっては、笑い話だけれど、あまりにも手探で、いつ辞めてもおかしくないのでは?という状態だったので、リアルタイムで書けなかったのですが、その続きを。
親が面会に来ない週末士官生は、ベネチアの街に制服着用で外出する。全ての士官生は観光客が密集している場所、人気のない裏路地には入ってはいけないのだとか、歩きながら携帯を使ってはいけない、ベンチに座ってはいけない、街中でイタリア国旗や海軍国旗、そして海軍のお偉いさんがいたら敬礼しなければならないとか。
校内には食べ物の持ち込みは禁止。持ち物検査で没収されるなどなど色々ある。地元の人たちは士官生を優遇してくれるところもあって、士官生メニューを用意しているレストランや、バールの奥に自習できるスペースを提供してくれたり、外から親からの差し入れの食べ物を食べていても大目に見てくれる。学校から1番近いバールそこが1年生の溜まり場で、通称バールピーボリ。

土曜の門限は23時、日曜は22時。夕飯を食べてさっさと学校に入れば良いと思うのだけど、学校には上級生が待ち構えて、海軍に関する質問なんかをどんどんするものだから皆んなバールの前で門限ギリギリまで粘ってグループになって学校に入る。
外での素行は上級生や、学校職員から常にチェックされていると思った方がよく、こちらは減点だけでなく、学年司令官に報告される。制帽をかぶっていないくらいでも大変なことになるのに。タバコや酒なんかもっての外。全体責任で何が起こるかわからない。週に一度司令官との面談があり、素行態度の指導や、健康面で問題がある場合も報告する訳だ。入ってすぐは定期的に健康チェック心理カウンセラーとの面談などもあり、面談で、健康チェックのため、保健室にとか、心理カウンセラーとの面談にと言うような通達もある。学校の先生と電話面接もあり、あのどんな様子ですか?と聞いたら、
「お嬢さんはクラスでは同級生と喋ったり、笑顔が見えるから大丈夫でしょうと。え、笑顔無くなるんですか?ええ、生徒さんによっては。」
なるほどこれでは心理カウンセラーとの面談も必要なわけである。
日曜に会った後、娘はなしのつぶて。携帯使用可能時間にかけても、電源は切れっぱなし。これは旧式に手紙だな。と手紙を書いて送った。手紙が来ると思っていない娘はこれは随分と嬉しかった様だった。必ず宛名の1番最初に書くのは学籍番号。こちらは衣類全てに印字されたり、3年間使う番号。側から見るとなんか番号なんてと感じるけれど、特別な思い入れが入る様で、後々先輩後輩の繋がりにも番号が使われたりするのだがそれは次回。

しばらくして電話があって、「制服が支給されたよ。心理カウンセラーと面談したんだけどさ、気分を変えるためにどんどん外出しなさいって言われた、どんどん外出しないといけないから、ベネチア高くてお小遣い足らない。振り込んでおいて」と言う口調もずいぶん軽い
夫と電話を切ってから思わず2人で
「chi le ammazza nessunooo!」直訳では誰も彼女を殺したりはしないだが、皮肉を込めて居心地最高なんじゃない?(心配して損した!)と言う感じか。

そのうち夫の弟つまり、おじさんが10月の中頃娘に会いに行った。
高校時代はモロジーニ士官高等学校に通い、リボルノの士官学校アカデミアで海軍兵役を兼ねて少尉をやっていた。いわゆる海軍経験者。彼は今ではカトリックの神父をやっているが、その当時の仲間で海軍に残っている友人はみんな要職。なんと娘の通う学校指揮官いわゆる校長に当たる人が、アカデミア時代の同期。コネとツテの国イタリアで13教会の神父をこなす社交性抜群の義弟。各関係者方面に連絡を入れないわけがない。娘が入学するのを知った途端、あっという間にベネチアのマルタ騎士団本部の礼拝堂でミサを月一であげる約束を取り付け、ビップルームをベネチアに確保、学校指揮官を務める友人を35年ぶりに訪ねて、姪っ子の事をお願いしに行った。

彼が通っていた当時のレストランがまだあったと喜び、娘を連れて行って、色々聞き出したようだ。彼が通っていた時代はは本当に辛い体罰や、しごきがあった話なんかをしたらしい。制服がとっても似合っていて、制服着るために生まれてきたような姪っ子だ。笑顔もあったし11月の頭の連休に帰る話と、12月の宣誓式の話してたから大丈夫だよ。と写真を送ってくれたが、満面の笑顔は義弟の方だった。
後から娘の話によれば、「べネチアマルタ騎士団本部の事務方の人とか、ミサに来てた人、レストランの人とか、全く知らない人に、モロジーニ士官学校に入った自慢の姪っ子だとか言っちゃって恥ずかしいったらなかったよ。」だそうで、私は娘が入学した事を親以上に喜んでいると踏んでいる。

