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娘の挑戦その2

海軍士官高等学校をどうして受験するって決めたの?凄すぎてもうどう言ったら良いか、女の子が凄いねええなどなど、いろいろな方からコメントをいただいた。前回のブログはこちらから 

まず事の発端は仲の良い高校のクラスメートが、モデナの陸軍士官大学生が制服姿で通り過ぎるのを横目で見ながら私空軍士官高校に入りたいんだ。と聞いたのがきっかけ。家に帰ってきてから父親にどんな学校なのか?と色々聞いていた。

実は我が家は夫の弟が、モロジーニ海軍士官高等学校にいたことがある。その後リボルノのアカデミア(士官大学)に入り、海軍下士官をしていた。現在はカトリックの神父だけれど、そのスマートな身のこなしは、うちの子達も一目置いている。

海軍にいた当時の義弟

また夫の従兄弟、叔父さん、知り合いにも案外この学校の出身者が多くいて、娘と一緒に体験談を聞くと、一様にあんな体験と、友達とのつながりは人生の中で1番の思い出と言っても良いと口を揃え、娘のモチベーションは上がっていったのは間違いない。極め付けは今年の1月たまたま息子の中学入学説明会で久々に会った、幼稚園の同級生のお母さんと話していたら、16歳の娘さんがミラノにあるテウリエ陸軍士官高等学校に入学したのと、偶然にびっくり。その子のお父さんは、地元のスポーツクラブのトレーナーで、適正試験の体力試験をパスするためのトレーニングをたててくれるという。条件は揃った。善は急げ、次の日にスポーツクラブに入会、それまで続けていた週2回の空手のレッスンに加え週2回のトレーニング開始。週末に市民プールで泳ぎ、中距離練習や、彼女の不得意な短距離は、元陸上部母担当でホーム矯正。一部の友人知人に

「あかねさん、絶対自転車でメガホン持って走ってそうだよね。」

我が家の周りは田舎道だからいくらでも走るスペースはある

というほぼ想像の通り。というのも一緒に走ってみたら、翌日筋肉痛に腰痛という、体たらくで自転車伴走。反面娘は着実に準備を進めて行った。

まず、どんな子だったのか、生まれた時から凛々しいわねえ〜と言われる娘、ともかく好奇心旺盛。まだお座りできない頃からキョロキョロ頭を動かすため、後頭部の髪の毛が薄くなるほど、タッチを覚えたら、ベビーベッドの柵に手の色が変わるくらい掴まったまま座らない。そんなわけで、6ヶ月くらいで体感のしっかりした赤ん坊。

6ヶ月、背筋がシャンとした赤ん坊。頭を動かしすぎて後頭部が少し薄くなっている。

一歩歩いたと思えば10分後には100m歩き、歩き始めたらイタズラが止まらない。2歳前には本棚の手の届く範囲は1日に10回は本を全て叩き落とし、戸棚の中から全てのものを取り出してぶちまける。母親は疲れて呆然と何度片付けても散らかりまくった部屋にへたり込むことしばしばだった。私だってそんなにボーッとしたタイプではないが、その目を盗んで、目にも止まらぬ速さで間髪おかずイタズラをする。目端が効くから冷蔵庫の上に隠したお菓子を2歳前で箒で叩き落として食べたり本当にすごかった。

日本行きの飛行機の中では1時間半しか寝ず、起きている間はずっと歩き続け、ジャンボジェット機の機内のトイレ全てを20回づつくらい入って、全ての扉を開けてを繰り返し、私は疲労困憊、反面足はまったく浮腫まなかったが、実家に着いて数日寝込んだ。息子が生まれた時、男の子は大変よ。と先輩お母さん方に聞いていたので、覚悟を決めたらまったく楽勝だった。息子だってかなり活発なタイプにも関わらずだ。5歳で弟が産まれ、病院から帰ってきた日から、面倒を見る気満々で、初日の寝しつけから始まり、生後数日の弟をベビーベッドから引きずり出して、まだ首が座らない頭がグラングランの状態で抱っこして、コンクリートの階段を降りてきたりお姉さんぶりを大発揮。そんなわけで、弟はお姉ちゃんに絶大な信頼と服従という関係は今でも続いている。

いつでも走っていた感じ

その上小さな頃からおしゃべりで、離乳食を食べさせれば、口に入った瞬間以外ずーっとあーあーと声を出す。少し大きくなってからも公園ではブランコに乗ったら初対面の隣のブランコの子にずーっと喋りかけ、その子がクラクラしながら降りてきて、私に耳の中言葉でいっぱいになっちゃったよ。と言われたこともある。

ブランコに乗るとものすごい笑顔でお喋り

小学校の面談では本当にどの子とでも仲良くなるのは良いけれど、お喋りで、彼女は要領がいいから、今どこやってたか聞いてもちゃんと答えるけれど、相手の子は聞いてないから家でも少しお話を控えるように指導してください。と毎回言われていた。中学校に入ってずいぶん口数は減ったけど、その分減らず口の多いことと言ったら!12ー14歳くらいは最悪で、私とも主人とも凄まじい喧嘩を繰り広げていた。が、私たちがどんなに怒っても3分後にはけろりとしている。切り替えの速さと、基本的に自分は間違っていないというポジションの自己肯定感の高さは大したものである。

6歳から11歳までやったスポーツはクンフー。負けん気が強いため、競技会では負けそうになると、虎の目が光るように目の色が変わり、すごい形相で次の種目をこなしていた。

右が娘 カンフー教室のポスター

残念ながら先生がコロナを機会に辞められて、12歳から空手に転向。基本的に運動神経は良く、何より筋力、持久力があり、小さな頃から病気の一つもしない。いつのまにか身長も170cm近くになった。モデナの理系高校に入りずいぶん落ち着いたが、部活動のないイタリアの高校に、勉強と言いつつ、長時間にわたるチャットに電話、ネットの使用。今時の高校生なんてこんなものかもしれない、成績も悪くないが、これでいいのか?感じていたのも事実。あれだけエネルギーを秘めた娘である、この降って湧いたような士官高等学校受験に夫共々応援したのはいうまでもない。

次に続きます。

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