イタリアの迷所にようこそ 滞在許可証ICカード化後半

ICカードを申請するためにはカード申請手続き代を、専用振り込み用紙にて郵便局で振り込み後、その振り込み用紙を持っていく事になっていた、
すぐさま、郵便局へ直行。

クリスマス前の郵便局はプレゼントを送る人、年末の手続きをする人でごった返している。

インターネットバンキングが進んでいる今、なんでこの長蛇の列に並んで振込みをせないかんのだ!と心の中で悪態をつきながら、30分も並んでいると当然、列に並んでいる見知らぬイタリア人たちと世間話に花が咲く。


1時間かけて振り込みを終え、前後の列仲間(妙な連帯感が生まれる)に良いクリスマスを〜と挨拶をしたら、その足で証明写真ICAO(パスポート同様、前向き、笑っていない事、額は隠さない背景は白という規定。)を写真屋で撮ってもらい、たばこ屋で16ユーロの印紙を買った。

過去の経験から、ネットで情報収集をし、考えられる全ての書類を取り揃える。結婚証明書、娘息子の出産証明書にイタリアパスポートも揃え、家族同伴が必要という記事を書いていらしたのを見たので、イタリア人の家族である、夫に付き添ってもらう。

予約15分前までには入室している事という予約票を持って23日モデナ県警に。お目当ての移民局は県警の裏手の裏手。塀には鉄条網、

物々しいモデナのクエストゥーラは県警の一番裏手 小さな門があり、建物に沿った道のずっと奥に入り口がある。

いつ清掃されたのか何枚もの薄汚れたマスクが落ちた路地を通り、薄汚れたガラス扉を押すとあれ?こんなに人が少ないクエストゥーラ初めてかも!
5番窓口が受付窓口となっており、まずそこに並ぶ。中には警官ではなく、モロッコ人らしき若い男性が座り、予約票を見せて用件を伝えると、名前をチェックして、Mod.210という書類(コピーではない)を渡され、お名前を呼びますので記入をしながらしばらくお待ちください。という。

パトロナートアクリ ではMod.210の申請用紙をコピーしたものを渡されましたが、クエストゥーラで、コピーではない申請用紙を渡され書き直しました。 ペンは必ずご持参ください。

大変丁寧な対応だ。アラブ語圏からの移民者が多いモデナでは彼のような人がいたら、ずいぶん混乱も避けられるだろう。となんだか安心した。
ほどなくして、名前が呼ばれる。いつになく迅速だ!
「ここはさーイタリア人は絶対足を踏み入れることのない空間だよね。」

とイタリア人の夫は興味津々であたりを見回している。そういえば、付き合ってもらったのは今日が初めてだ。

係は若い女性の警察官。仏頂面な上、かなり横柄であるが、笑顔、笑顔。めんどくさいことはごめんである。

「あなたの滞在証。あ、無期限ね。」更新年月日の後の次の欄有効期限(scadenza)に、日にちの記載の代わりにEU市民家族用カルタディソッジョルノと記載がある。

同行した夫をチラリと見て、
係員 「まず結婚証明証(予約のルチーアさんが渡してきた一覧表にはない)」
夫、「え、市に出してもらった家族証明(Stato di famiglia anche in autocertificazione)じゃないの?!(わざわざ市の職員に市の印鑑の有無を確認の電話を入れていたのに)」(私 黙っていろと夫をつつく)
係員「これは市の印鑑が入ってない!」
私2007年にミラノ市で発行してもらった結婚証明書出しながら
「はいはい、もちろん用意してありますよ」笑顔。
係員「はいそれじゃ、旦那さんのIDカードと保険証。これで居住証明になるから。結婚証明証と共にコピーさせてもらいます。」と席を外す。
あれ、折角舅に作ってもらった住居使用契約書は不問か。。。
夫「あかね、一体全体どうして結婚証明証なんか持ってるの?すごいねええ〜」
私「しっ声が高い!ミラノで取った時の化石のごとく古い結婚証明証だったの。ごちゃごちゃ言ってると、受理してもらえそうにないから黙ってて!最悪、子供達のイタリアパスポートで押すから」と

そういえば、いつから無期限になったのか?

私がモデナに引っ越してきた2012年は結婚5年目にあたり、結婚して5年経っていればペルメッソソッジョルノの更新手続きをした際、期限なしカルタディソッジョルノに切り替わったのだった。その時も結婚証明証の市の印鑑が入っておらず、市役所の窓口に念押しをしたら、私が住んでいる市は皆さんこれです。と市の職員に言い切られた経緯があった。即座に
「失礼、うちの市は滞在許可証の手続きにはこれだ!と言い切って証明を出してきたのに、クエストゥーラではダメだと言われたら一市民はどう対応したら良いのでしょうか?係員の名札を見て、〇〇さんから不許可だった事を、今後こちらでの混乱を避けるために、こちらのクエストゥーラと在住の市に文章で申し入れさせていただきますね。」
と怒りを抑えつつ丁寧に言ったら、係員が慌ててベテラン風の職員を呼び、ヒソヒソ。

ベテラン風の女性、私の書類の入ったクリアーケースに目を止め、

「あの、イタリア人のパスポートをお持ちですね?もしかしてお子さんのパスポートですか?そちらをコピーさせていただけたら受理できますし、無期限の滞在許可証が出ます。」

と長女のイタリアパスポート(夫と私の名前が保護者欄に記載されている)で受理してもらったことがあったのである。確かに離婚はありえるが、未成年の親(家族)であることは変わらないわけだから納得がいく。

どうりて、カルタディソッジョルノじゃないの?と友人に聞かれ、無期限のペルメッソディソッジョルノ、有効期限にカルタディソッジョルノとかいてあるけど?不思議に思っていたのだが。イタリアは政府が変われば移民手続きの方法も変わる国。さまざまな友人の話ではこの無期限の滞在許可証(カルタディソッジョルノ)に書き換えをするのに、裁判所に行って申請する無犯罪証明書や、人によっては語学試験そのほか諸々の込み入った書類が必要だったという。私は随分楽に無期限の滞在許可証に切り替える時期だったのだと今になって知った。

さて今回はどう出るか?息子の出生証明証も持参している。と身構えていたら全くの不問で、

「それでは、収入の証明できるもの」
「はいISSE (Indicatore della Situazione Economica Equivalente)に所得証明を持っています。」

夫と私の収入が全て記載されている、20ページ以上ある書類なのに横目で見て終わり。折角用意したんだから、ページくらいめくって欲しかった…。
ここからはほぼ順調に一覧表通り

– Mod210 ペルメッソソッジョルノの書式 (最終的にオリジナルのものをクエストゥーラでもらえる)
– 16ユーロの印紙
– 写真 ICAO(パスポート同様背景が白の額を出してまっすぐ向いた、歯を見せていないもの)4枚
– オリジナルパスポート
– パスポートコピー (顔写真が入っているページ)
– IDカードにするための郵便局で振り込んだ、30、46ユーロの振り込み用紙
– 古いペルメッソソッジョルノのコピー

これに前述の

-夫のID(Carta d’identità )のコピー

-保険証(tessera sanitaria)コピー

-市の印が入った結婚証明書(certificato di matrimonio)

-収入証明 (扶養してくれる家族の収入源が知りたいらしい)

が最終的に聞かれた必要書類だった。

配偶者を同行していったのでスムーズだった上、係員がある程度融通が効きコピーを取ってくれた。

過去の経験では、コピーがないとまた来いと言われる可能性もあるのでかなりついている!

あっという間に手続きが終わり、指紋センサーで右と左の人差し指の指紋を取られ、係員の迅速な手続きを夫と2人で褒め称えると、ちょっとにっこり。横柄な態度は引っ込み、申請用紙コピーに、印を押しながら 至極礼儀正しく、

「これが受け取り証の代わりになります。引き取り時に古いペルメッソと共にお持ちください。ICカード発行には1ヶ月弱。手配に時間がかかって申し訳ないけど、連絡がSMSが届くので、その指示に従って予約を取って、引き取りに来てください。この後別室でデジタルで全ての指の指紋を取らせて頂きます。シニョーラのデータは古くってデジタルではないので。少ししたら別室の同僚が、名前をお呼びしますので、もう少しあちらでお待ちください。」

10分ほど待って指紋取り。

なにせ初めて滞在許可証を取ったのはかれこれ17年前のナポリ。真っ黒なインクに全ての手を染めさせられ、犯罪者さながら指紋を取らされた。警察のトイレの洗面所で洗っても洗っても落ちない黒インク…。その話を別室の中年係員にしたら

「えーっ!私もずいぶんベテランだけど、指紋インクで取ったことないわよ〜」

と笑いながらデジタルで指紋を取られた。一瞬このデーターベースの安全性は大丈夫なんでしょうねえと聞きたくなったが、余計なことを言うと手続きが終わらなくなりそうなので、我慢我慢。

がこれがなかなか終わらなかったのである。

クリスマス料理準備を延々としていた私は指紋採取センサーが指の湿り気が全くなくて反応しない。係員にアルコール液を塗られ、ぎゅーぎゅー押し付けられても、指紋が写り込まない。これならインクのほうが良かったかもなんて2人で軽口を叩きながらなんとか終了。

案外今回の穴は手荒れのケアだったのか?!

とはいえ今回の手続き、異例の速さでかかった時間は55分!過去最短滞在時間のクエストゥーラだったのである。さて、IDカードいつ届くか見ものだ。

おかげさまで、この更新手続きの発端になった給付金の申し立ては期限内にできたが、滞在許可証手続きは相変わらずカオスであることは間違いない。しかし、コロナ禍で入室人数が限られており、全て予約制になっていたことが功を奏し、かなり迅速に手続きができた。コロナだって良いところはあるじゃないか!

いろんな日本の方が書いてくださっているブログや記事、個人的に送ってくださった手続き説明リンクなど。から、滞在許可証電子化について大変有効な情報を頂きました。この場を借りてお礼を申し上げます。

参考にしたリンク(2021年7月から12月までに書かれたもの。古すぎる記事は事情が変わっている可能性もあるので)を貼っておきます。

https://cuoreverde.exblog.jp/32384704/

https://ameblo.jp/piantina/entry-12688690907.html

https://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/ishii/2021/11/post-30.php

https://www.avvocatofrancescolombardini.it/nuova-carta-di-soggiorno-elettronica-per-familiari-stranieri-di-cittadini-ue/

お住まいの地域、いや、係員毎に各々情報の交錯と苦労があるのは目に見えており、全て役に立たないかもしれませんが、私の体験談が少しでもイタリア長期滞在者の皆さんに、参考になればと思います。そして、苦労してるのは自分だけではない!と慰めになれば幸いです。

イタリアの迷所へようこそ 滞在許可証I Cカード化 前半

イタリアに住んだ事がある外国人であれば、必ず訪れなくてはならない所。
それはクエストゥーラ警察管轄の移民局。


3ヶ月以上の滞在をする場合、ペルメッソ ソッジョルノという名の滞在許可証が必要である。イタリアに長期滞在する場合はすぐにこの滞在許可証が必要なのである。一度でも行った方ならよーくご存知のように、できるだけ近寄りたくないはたまた面倒な場所。

私の中で、イタリアの名所ならぬ迷所ナンバーワンにノミネートされている場所である。

10年以上前の記憶は、早朝6時から並び、3番目に並んでいたというのに、8時過ぎに門が開くと列を無視して、イタリア語を全く話さないようなアフリカ系、中東系の男たちが我先にと殺到する。それをこん棒で取り押さえる警官数名。他の警官が出てきて、並んでいた中で一番身なりが整ったスーツ姿の私に1番に何をしに来たか訊ねる。この辺も計算済みの服装である。「おはようございます。ペルメッソの更新予約をして今日朝にと指示されたものですが。」というとすぐに窓口に同行案内してくれた。私の後ろには長蛇の列。いつの間に到着したのかブルカを被った女たち、インド系の子沢山の家族、どうやら指示された用紙にアルファベットも書けない男に付き添う友達もイタリア語が堪能とは言えず、係の警察官がイライラと必要書類の提示を声高にするが、あるのかないのかもわからない。書類が不足しているから、手続きはできないという係員に泣きつこうとする女性。こんな状態だから、列の後半になれば、午前中いっぱい待って手続きができないということも、しばしば発生する。手続きを終えて扉を開けたら、切羽詰まった感じの中国人女性に中国語で書類を突きつけられ、矢継ぎ早に質問をされた。申し訳ないけれど、私中国語はわからないの。とイタリア語で返したら、大きなため息が帰ってきた。こういう中にいると自分は違法滞在者の気分になってくるのだから不思議なものである。

このカオスの中にイタリア人と結婚している上に、イタリア人の未成年の親である私は合法滞在者に分類され、有効期限が空白の無期限 EU市民の家族用滞在書なるものに切り替わって久しく、10年に一回日本のパスポート更新によるパスポート番号が変更された時に書き換え手続きをすれば良い。

コロナ禍で日本に帰らないし、パスポートの番号の更新もしなくてはならないがまあそのうちにと伸ばし続けていたが、いい加減行かねばならぬ事情ができた。
というのも、会計士の友達と話していたら、個人事業主になって、様々な申請を見直したほうがいいよとアドバイスを貰った。その一連の申請内容で、日本でいう子供手当受給の申請を出したら、滞在許可証が無効であるために資格なしと言うメールが届いたのである。それも12月17日金曜の午後。申し立ては12月31日までにと記載してある。
日本人の方がブログで書いていらした、2023年8月23日までに滞在許可証デジタル化義務。場合によってはイタリアのでの公共サービスが受けられない憂き目にあうという記事の一文が脳内にフラッシュバックした。

結婚して14年。無期限という割に紙製。印字も薄れかけた写真も随分若い滞在許可証。スイもあまいも噛み分けたイタリア在住15〜25年の友人たちと、今慌てて行っても、どうせ係員がわかっちゃいなくて、たらい回しだから来年くらいでしょ行くの。と話していたのが9月ごろ。しかし一刻も早くICカードに切り替えしなければならない。


コロナ禍では全て手続きは予約制となっており、ざっとネットで調べると、cupa.progectというサイトで予約できる県もあるが、モデナ県は対応しておらず、モデナ県警のサイトで調べると住まいの市のpatoronato Acli という税務手続きを主に行う市民後援団体で予約手続きをせよ。と書いてある。

我が市の窓口は月曜の午前中のみの受付。20日月曜の朝1番で駆け込むと、うちではできないから、モデナ県の介護者や、家政婦の窓口のところへ行けという。外国人労働者の一番多い窓口だからなのだろうが、なんだか納得がいかないが、外国人移民窓口も兼任しているのはそこだという。電話番号をもらい、電話番号をくれた係員の名前と係員の名前を聞き出した。すぐに電話するもなんと呼び出し音も鳴らない。

仕方なく、アクリ後援団体の代表番号を回し、「私の住んでいる市のジョバンニ(仮名)さんから、こちらのルチーア(仮名)さんに電話をするようにと言われたのですが、というと、はいはい内線で回します。とルチーアさんにすぐに繋いでくれ、今すぐ行く旨を伝えた。朝の9時前に到着。こういう市民団体の窓口というのは大変にわかりにくいと相場が決まっており、5つある部署の各入り口には長い行列ができているところもある。一番並んでいない扉を開けて、お目当てに部署の扉を教えてもらい、扉を開けて開口一番、ルチーアさんに予約をしたものだと伝えると、目の前に座っていたのがお目当てのルチーアさんだった。個人名を聞き出して置くことは大変に重要なイタリア。が、こういう係員が全てを把握していると思ってはいけない。

ネットで仕入れた公式文章のスクリーンショットを見せつつ、状況を説明し、どうしても今週中に滞在許可証IDカード更新の予約が必要な旨を伝えると、この手続きは木曜日の午前中のみで、今週キャンセルが出て12月23日の11時半に予約が取れる、そのあとは2月2週目になります。と耳を疑うようなことを言う。23日!これは大幸運。必要書類を揃えるだけである。くれた必要リストがネットで調べたものとかなり異なるのが気になり、失礼こちら初めて申請する方の必要書類となってますが、確かですか??と聞くと私もこの無期限の滞在許可証初めて見たので、あっもう一枚更新のための書類一覧が!多分これです。と。

頼りなさすぎる係員。その一覧には抜けている、ICカード申請のためには郵便局からの30,46ユーロの振り込みが必要なはずですよ?と聞くとやっと振り込み用紙を出してきて、多分これですよね…。

と本当に大丈夫か?!

後半に続きます。

山の家で迎えた新年

あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします。

クリスマスは、義妹の住むリボルノで義両親と過ごし、

それからずっと北上して年越しは家族4人でで山の家へ。オミクロンが猛威を奮っているため、友人知人とは年越しを過ごすのは取りやめ、ひっそり過ごすことにしました。

トレンティーノアルトアディジェ ドロミテ山塊が見える標高1600mの村。

冬の間霧が多いモデナとはうって変わって、抜けるような青空の上天気。

例年であればかなり冷え込む地域ですが、ここ一週間は信じられないくらい温かな日が続いており、雪道に悩まされることなく、車で上がってくる事ができました。

12月の上旬にはかなり雪が降ったため、この辺りのスキー場は全面滑走可能とのこと。

ドロミテスーパースキーなどに入っているスキー場は、ゴンドラ使用時にFFP2マスク着用義務化されているけれど、

この時期沢山の人と混ざるのは避けたい。ということで、Tバーが一本だけかかる町営スキー場へ。

近隣の5つのホテルの子連れ連れの宿泊客か、地元の子供達がちらっと滑りに来るくらいの小さなスキー場。ほぼ一枚バーンの斜面はどこを滑っているのか見渡せて、子供達を放牧しておくにももってこい。

子供達をスキースクールに預けて、親はゆっくりカフェのテラス席や、寝椅子に身を預けて休んでいて、時折孫の様子を見にやってくる、ノンナやノンノ(おじいちゃん、おばあちゃん)達の姿も。バカンスムードが微笑ましいそんなゲレンデ。

例年であれば、大晦日にカウントダウンの花火や、スキースクールインストラクター達のエキシビションなどが催され、ビンブルレ(ホットワイン)が振る舞われるのですが、今年はなし。

それでも雪に囲まれた年越しは良いものです。

6日はエピファニア東方の3博士が、幼児イエスを祝福しにベツレヘムについた日。イタリアは祭日。この地域では、36日にかけて、近所の教会の神父様が東方三博士とベツレヘムの星に扮した子供たちと各家を回って、子供達が歌を歌って祝福をしてくれます。

お布施と、子供達には用意しておいたお菓子をあげると、お札とお香を置いていってくれました。

新しい年を迎えるのにふさわしい、子供達の清々しい歌声はラディン語(この地域の独特の言語)。イタリアにいながらにして、ちょっと外国気分のトレントアルトアディジェ地方での年越しでした。7日からは学校が始まり、それからやっと我が家も日常に戻り、バルサミコ酢の日本発送準備もそろそろ開始します!

今年は皆さんをモデナにお迎えできることを願って。

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恒例クリスマス前修行 トルテッリーニ作り

トルテッリーニをご存知ですか?

モデナの郷土料理の中で一番に出てくるお料理で、極小のパスタ生地(3cm角)にギューっとモデナの特産物を詰め込んだようなパスタ料理で、主に贅沢にとった肉のスープストックでさっと茹でて食べるハレの日のお料理。

今となっては、レストランに行けばいつでもあるし、スーパーに行けばパウチパックに入ったパスタメーカーのものが、冷蔵コーナーに並んでいるのを見たことがある方も多いでしょう。が、パスタ生地そしてフィリングの材料に吟味に吟味を凝らしたトルテッリーニは歯応えはもちろん、全く美味しさが異なります。

各家庭でレシピは色々ですが、生ハム、パルミジャーノレッジャーノチーズは産地だけあって、エミリア地方では絶対外せない材料。その他豚肉、仔牛、鶏肉、の配合比モルタデッラ、生ソーセージを入れる入れない、火を通す火を通さないなどなど100軒あれば、100のレシピがあり、各地域家庭で微妙に型が違ったり(あまりに微妙すぎて、初心者にはほとんど判別不能)。小さければ小さいほど良いなんて言う方もいます。

舅が子供の頃には、結婚式か、クリスマスもしくはイースターくらいにしか食べることがないような特別なもの。特別な日のトルテッリーニ作りは親戚一同女性たちが集まってワイワイと作る作るところからお祝いの雰囲気が出ていて、とても好ましい光景だったそう。

今ではずいぶんその風習も薄れており、近所の名人に作ってもらう、スーパーの惣菜コーナーに並ぶ、手作りトルテッリーニを購入する人も増えていますが、クリスマス直前の週末にはおばあちゃんが中心となって、家族みんなでトルテッリーニ作りというご家庭ももちろん残っています。

我が家といえば、数いるモデナ出身の親戚一同作る人は皆無。幼少の頃は乳母や、コックさんが作ってくれていたそうですが、今は皆、名人頼み。そんなわけで、私は10年近く前、地元の教会の婦人会の皆さんのトルテッリーニ作りに混ぜてもらってから、毎年作るようになりました。粉は取材でもお世話になったガスパリ製粉所のパスタ生地専用粉

 

豚、鳥、仔牛はたっぷりのバターで炒めて、パルミジャーノレッジャーノ チーズはレジャーニさんのチーズ工場Bioパルミジャーノレッジャーノ チーズ36ヶ月を使い、切り立ての生ハムは先日近所の生ハム工場で購入してきたパルマ24ヶ月、ミンサーで2度挽きして卵を混ぜて味を整えて、包み方開始。手を伸ばして、生のトルテッリーニをパクっと味見にくる家族。息子など10個くらいそのまま食べちゃった。でもこれ普通のこと。モデナの人は作っているのを見ると絶対に味見しにこれをやります。

黄色い卵がたっぷり入ったパスタ生地を薄く伸ばして後ろのカッターで均一な正方形に切り出します。

 

今回は主人の義妹宅で義理の両親と過ごすので、仕込む量も膨大。

中身を作って、二日に分けて包み終えるまで、合計作業時間7時間ほど。850個包みあげました。これを丸一日乾燥させ、冷凍庫で保管。あとは去勢鶏でしっかりスープストックを作って、食べる直前にスープの中で茹でて食卓で、たっぷりパルミジャーノレッジャーノ チーズをかけていただきます。

お正月まで、34回は食べられるかな?

包み方が気になる方は動画でどうぞ。

 

ともかく時間も労力も使いますが、こだわって作ったトルテッリーニの美味しさは格別。体力気力とも充実していないとできないこともあり、私は心の中で修行と呼んでいます。この後に続くであろう、大量のクリスマス料理準備の心の準備になります。コロナで自粛中ですが、一時期は、親戚30名がうちにやってくるなんてこともありました。

余談ですが、この数になれると大抵の粉物はなんのその。え、ラビオリを10人前はいはい、え、肉まん25個?いいよ。餃子50個、焼き、水、揚げ3種類やろうか?ってな具合です。

トルテッリーニ作りが終わるとクリスマスももう間近。

皆さんも良いクリスマスをお迎えください。

待つのが楽しいクリスマス

あっという間に12月も半ば。師走になると何故か気忙しいのは日本もイタリアも同じです。

葡萄畑の葉もすっかり落ち、朝晩かなり冷え込むようになりました。我が家から見えるアッペンニン山脈も雪化粧。

クリスマスは特別な行事。街も家の中もクリスマス飾りで賑やかに。特にイタリアで欠かせないのが、クリスマスツリーよりもキリストの降誕を模したプレゼーペ我が家も子供達が色々並べてくれました。

キリストが生まれる日つまり24日まで幼児イエスは中におらず、東方三博士もまだ到着していません。今日見たら、なんとこんな事に⁉️

スーパーカーに乗って幼児イエス移動の最中⁉️8歳の息子氏の演出に間違いありません。

そのほか家の中の装飾も全て子供達任せで赤いリボンが至る所にかかり、照明もクリスマスに

全く手出しができないくらいの張り切り具合から、クリスマスへの期待感が伺われます。

庭には歴代のクリスマスツリー、つまりもみの木がすっかり根付いて、かなり大きくなってきているので、大枝を切り取って、砂利を入れ、ミニツリーに。

私は葡萄畑に行って、剪定する枝を切り取って編み込み、クリスマスリースを作ります。庭にある植物でデコレーション。今年は寒さが遅かったせいでなんとバラがまだ残っていてびっくり。

待つのが楽しいクリスマス!

気忙しい師走を楽しんで過ごしていきたいと思います。

バルサミコ酢レシピ その17パンナコッタバルサミコ酢添え

一時期日本でパンナコッタが大流行したのはいつだったか?

実はイタリアのお菓子であり、パンナとは生クリームでコッタは煮るという意味である。

様々なレシピが日本でもあるけれど、モデナのうちの周辺の地元レストランで出てくるのは、100%生クリームでできており、しかも、乳脂肪分が抑えてあるものなど絶対使っていなそうな、もちろん動物性の至極こってりしたパンナコッタであり、どーんとお皿いっぱいに盛られて出てきて、料理をしこたま食べた後に、なんでこれ注文してしまったのだろう?と激しく後悔しながら、必死に食べる。ということが何度あったことか。

今回のレシピは牛乳を半量入れてあるけれど、モデナ気分を味わうなら、100%生クリームでトライしてください。

パンナコッタバルサミコ酢添え

材料4人分

生クリーム   200ml

牛乳      200ml

砂糖      70g

バニラビーンズ 半本

板ゼラチン   10g

季節の果物   適宜

バルサミコ酢  適宜

作り方

 

 

お着物と晩餐会

晩秋は雨や霧の日が多いモデナ。

太陽が霞んで見える霧の朝

この湿度、バルサミコ酢の醸造に欠かせず、夏の間乾燥した樽の湿度を保つためにも一役買っています。

 そんな晩秋のある日、ArigaMo ArigaToというモデナと東京を結ぶイベントが開催されました。

モデナ県が位置するエミリア ロマーニャ州は知事が「エミリア ロマーニャ州の経済が安定しているならば、イタリアの経済は安定していると言える」と話していた通り名実ともにイタリアの経済の中心地。

それをさらに盛り立てつつ、文化交流をするという趣旨だそうで、日本の哲学に関する書籍の紹介や、映画、アニメ、の上映会、世界各国で活躍されているJazz日本人の演奏者を招待してのコンサートなど2日間にイベントが盛り沢山。

コロナの関係で、直前まで開催がわからず、正式に決まったのが1ヶ月ほど前だったそうで、オーガナイズされた皆さんは、さぞご苦労されたのではないかと思います。

現在士官学校として使われているモデナのドゥカーレ宮にて晩餐会が催されるとの事。

そこに夫婦でご招待を頂きました。

王宮の正面入り口

 

王宮の大広間に入れるのはこういうイベントならでは。(一般公開は土日のみ事前に要予約でガイド付きのツアーが開催されています。)正面玄関左側にはカラビニエーリと呼ばれる警官が何人も常駐しており、予防接種パスポート、並びに名簿のチェックを受け、空港の金属探知機のようなものを潜ると全身にアルコールが吹き付けられ、会場である、王宮内に案内されます。国家警察の管轄でもあるので、勝手にウロウロとはできず、大きな階段を登り、これもまた重厚な渡り廊下の途中途中に案内の警官がチェックをしている物々しさ。大きさの異なる5つの広間のある会場に到着する。

年に一度バルサミコ酢愛好者協会モデナ支部の鑑定会では反対側の少し小さめの広間には何度か入ったことがありますが、こちらは初めて。天井画がことに素晴らしい。

モデナのミシュラン一つ星レストランエルバデ デル レのシェフがお食事を担当。ソムリエと共にモデナの郷土料理をアレンジしたお食事。

その前後には鳥肌が立つよような素晴らしいJazz演奏。

主催の源の会、モデナを代表する企業家の皆さんそしてローマの日本大使館からも副公使のご挨拶がありました。

すっかり澄まして座ってますが、会場に辿り着くまで大変だったことと言ったら!

是非お着物でとお願いされ、もちろんと快諾したものの、数年に一回しか袖を通さない着物を引っ張り出してきて、すっかり忘れた着付けの特訓から!

豪華に見せた方がいいなら二重太鼓と袋帯を出してきたのはいいけれど、いつもお太鼓に使っている帯より絞めるのが難しい。YouTobe先生を見ながら、前結びで後ろに回すなど色々試してみましたが、最終的に手を後ろに回して結ぶのがやはり一番崩れなく結べそう。どんなに気を付けて着ても、襦袢の襟がなんだかクシャっとして決まらない!長くしまっていたためか、少し襟が形崩れしたためらしいと気付き、アイロンをいくらかけるも駄目。日本なら襟芯を替えるなり入れるなり、襦袢を買い直すなりできるけれど、イタリアでは無理。意を決して半襟を解いて、衿芯にすべく布を買いに行き付け替えるとなんとかピッシリ着付けられた。練習はずいぶんしたし、後は着付けタイムを測って(30分きっかり)出かける時間に合わせて着付けるのみ!と意気込んで当日。

着付けをしていたら13歳の娘が興味津々で、YouTobe動画を見せながら、手伝ってくれました。

「ストップ!この部分をを押さえて!引っ張るよ!よし、紐!今度はこっち持ってって!」

といつもよりずっと帯も上手く締まっている。一回最後の形を作り直すも23分で着付け完了!二重太鼓もばっちり帯揚げもピッシリ決まったし、思わずガッツポーズ。

しっかり結べたかどうか、写真で確認

が、この日は朝から雨。

主人は運転しないので会場までは私の運転。足袋の上に大きめのスニーカーを履き、踵まであるロングコートを着て裾をからげてやってきたなど、誰も知るよしもなし。

帰りは雨は止み、帰途に着く頃、深夜の正面玄関は施錠したため、王宮の警備員に裏門に案内された。こちらも物々しい窓口を通り過ぎて、街頭のほとんどない鉄の門を出た瞬間、大きな水溜りに足袋までずぶりとハマった事を抜かせば、お着物での晩餐会ミッションは無事完了したのでした。

翌日は素晴らしいお天気。本格的な冬の訪れももうすぐです。

友人と過ごしたバカンス

以前にも書きましたが、イタリアの夏休みは長い小中学校は6月2週目から9月2週目までがお休みで、大人もその間34週間のバカンスをとるのが常です。

そんなわけで、どこに行くか、どうやって過ごすかが夏の最大の関心ごとになるのです。

コロナ禍ではあまりにも行動が制限されたため、ワクチンが行き渡り始めた今年の夏こそは!と計画をする人も多い今年。

ワクチン接種会場 すぐに証明書を発行してくれます

通常なら海外旅行に!という友人も多いのだけれど、国境を越えるとなると、急に規制が変更されて、現地で足止め、もしくはイタリアに帰国後隔離義務がある可能性もあるとなるとリスクが高くなりすぎる。急に感染爆発となって、旅行を取りやめにしなければならないなんてことも困る。

ワクチンを打ったらアプリケーションを使って携帯にQRコードをダウンロードして証明書として使います。

我が友人たちも同じく、コロナ中の人と会うことに飢えている。

散々オンライン飲み会はやったけど、物足りない!会いたい!何よりコロナの心配なく子供達を遊ばせたい!というわけで、主人の大学時代の友人10家族大盛り上がりで、2月から大人子供42人が過ごせるロケーションを探し回りトスカーナ州のサンミニアートの近くに、あるボルゴ(集落)がバカンスの家として貸し出されているのを見つけ、早々に予約を入れたのでした。滞在したボルゴブッチャーノ

現在のイタリアはコロナ感染数が減ったとはいえ、デルタ株など予断を許しません。集団感染なんてことになるのは困るので、大人はワクチン接種、子供たちは到着48時間以内にPCR検査をすることを条件という取り決めをして、全員陰性を確認していざ。

遠くはドイツ、ミラノ、トリノ、モデナから総勢42人が集まったのでした。

1週間の滞在。問題は食事。あまりに人数が多いので、3食食べるとなると、用意する人はバカンスどころではない。大変なことになるのは火を見るよりも明らか。レストランに行くのも人数が多すぎて無理。方々探してみたけれど、一度OKしてくれシェフは、行動制限が緩和されてから、仕事に追われて、キャンセル。一度暗礁に乗り上げるも、ケータリングを主にしている知り合いのシェフを口説いて、夫婦で来てもらうことに。キッチンはボルゴ内にあるイベント用の業務用キッチンを借り切り、初日の買い物は大きなショッピングカート6台分。基本調味料から揃えるわけだから凄まじい量。

2l水のボトルが1日に40本ほど消費されてましたから、別途アルコールと飲料買い出し班を増設するほどでした。

子供たちは21522人。敷地内には大きなプールがあり、全て植え込みで覆われているので、不法侵入者や、車などに気を使うこともなく、うちの子たち138歳は朝8時ごろ部屋を出て、夜の11時まで遊びっぱなし。

近隣の名所に行くグループに参加するのもよし、残って遊ぶもよし。大きな子たちは小さな子たちの面倒を見ながら、食事も子供達の専用テーブルで実に楽しそう。女の子、男の子グループに分かれ、毎日の配膳や後片付けもよく手伝ってくれました。

これだけの人数になると、大人の専門性も多彩。

ヴィンチ村のレオナルドダビンチ博物館に行くと、子供達に各々の専門分野を説明。歴史、建築、美術、技術者、解剖学(獣医さんがいる)全ての専門家がたまたま揃っていたので、この原理は今でもこんなものに応用されているんだよ、などなどプラスアルファの説明が下手なガイドを雇うよりも魅力的で素晴らしい。

街歩きも楽しい

音楽好きの友人はバカンス中全てのバックグラウンドミュージックをオーガナイズ。大きなスピーカーを計4台も持ってきており、プール、アペリティーボ、食事、食後の子供達のカラオケ企画や、ギター演奏も。

ギターからマイク、スピーカーまで準備万端。全て持ち込んでいます。

私はもちろん、食事のそう責任者。シェフと食事のオーガナイズ。買い物や、みんなのリクエストをまとめて、メニューを決めたり、土地の特産物を買い集めてアペリティーボを企画しておりました。

夕暮れのアペリティーボ

元々同じ大学の同じアパートのフラットに住んでいた主人の友人達10人。そこに結婚して子供ができて大人数になっても変わらない友人関係。奥さんの国籍もイタリアのみならず、フィンランド、フランス、ドイツ、チェコスロバキア、日本、ブラジル、イギリスなど国際色豊か。

大人は夜7時のアペリティーボから始まり、夜中まで語り明かしました。

最終的にどんなバカンスだったか?大人の満足はもちろん、どこの子供も

こんな友達がいるって幸せ!

みんなのこと大好き!

来年はどこ行くの?

などなど本当に楽しかったようで、来年もリピートになりそうな予感です。

神父の義弟が遊びにきて全員ミサまでありました。

大人数の怒涛のバカンス。

全力で遊んだので、これから頑張って仕事します。

夏恒例!トマトソース作り

残暑お見舞い申し上げます。

今年の夏はとても暑くて雨が少ないそんなモデナです。

真昼の太陽はジリジリと焼けつくよう

日本の皆さんはトマトと言えば、南イタリアを想像するかもしれませんが、実は私が住むエミリア・ロマーニャ州は加工トマトの生産量がイタリアでなんと第一位。

加工トマトというのは、加工されたもの。という意味ではなく、加熱加工向きのトマト。生食用のトマトと比べ、皮が硬く、支柱栽培ではなく、スイカのようにごろごろと地中に這わせて育てています。以前イタリア好きのweb通信で書いたものがあるので、詳しくはこちらから。

ご近所の農家さんが栽培している完熟トマトを毎年8月の頭から中旬にかけて買いに行きます。

農家の葡萄畑の間に無造作に積み上げられている、トマト、トマト、トマト!機械で摘むのですか?と聞いたらうちは全部手摘みだよ。と!まあこの暑い中本当にご苦労様です。

こちら一部、葡萄畑の葡萄の木の間に他にもたくさん積んでありました。トレーラーみたいなもので買いに来る人がたくさんいるらしいです。

60kgください。と言ったら、箱を持ってきてくれてきたからおまけね。使うでしょ?と、10kg余分にくれるおじさん。

今年はいいできで、完熟だから、今日明日中に加工してね。と

総重量70kg。

田舎の車は何を載せるかわからないので、ダンボール敷き詰めてます

帰ったら早速瓶の洗浄。これが結構手間がかかる。

大体一本1kg強入る予定なので、70本を用意します。

これで半分くらい

翌日家族総出で、暑いので早朝6時から瓶の煮沸、トマトの洗浄。地面で育っているので、かなり土がついているので、一つ一つしっかり洗います。葡萄作業に使う大きな入れ物を出してきて、子供たちが洗浄係。大体最後は水遊び。夏休みですからお手伝いも楽しまないとね。

3回水を替え、よく水を切ったトマトをどんどん半分に切っていきます。中まで真っ赤。食べてみると例年よりずっと甘い!さすが太陽の子トマト。太陽がトマトを甘くしてくれています。

それを大釜で皮が簡単に外れるようになるまで火を通し、ザルに開けて1時間ほどしっかりと水を切ります。それを種と、皮だけ出てくるトマト潰しにかけて、ピューレを作り、火にかけて煮沸。瓶詰めをして、また瓶ごと煮沸して冷まして出来上がり!

こんな機械で潰すと、種と皮だけが出てくる仕組み

67瓶のトマトソースが出来ました。

今年は濃厚な、甘味の強いトマトソースが出来ました。塩も何も追加してない自然のままの味だからこそ、どんな料理にでも使えるのです。1ヶ月くらい寝かせた方が美味しいので、去年の残りを使い切って、それから使い始める予定。

出来上がった濃厚なトマトソース

秋が楽しみです!

動画でもどうぞ楽しんでみてください。

バカンスシーズンのイタリア

7月も中旬葡萄の実も随分と実ってきたモデナ

欲を言えば雨が少ない。雨雲に雨乞いをしたい気分。

願いが通じたのか、30分ほど雨が。それだけでも木々が元気になるのがわかります。

子供達が夏休みに入ってあっという間に1ヶ月

イタリアの長い長い夏休みは子供達に何をさせるか?が親の重要課題。

イタリアの夏といえば、バカンス

ワクチン接種も進み、現在イタリア国内は自由に移動ができるようになっておりますので、移動ができなかったロックダウンを取り戻そうとばかりに、今年は特にバカンスに熱を入れているイタリア人が多そうです。

日本とは異なり、イタリアは週単位で大人もバカンスをとります。

家族単位で何週間もどこかに行こうというと費用もかなりかかりますから、ホテルやペンション滞在だけでなく、バンガロー、週単位で貸し出すマンションや一戸建て、キャンピングカーを借りて自炊などなど家族でどう過ごすか悩ましいところ。

別荘を持っているというイタリア人も多く、長期滞在中の間、気のあった友人を招待しあったりして過ごすということも多い。

しかし、別荘は両親や兄弟と共有なんてことも多く、日にちや、親兄弟との折り合いが難しい場合も

 主人の学生時代からの友人のマルチェッロは毎年エルバ島の別荘に招待してくれるのですが、それには理由があるんです。一つは子供達同士も仲が良いので、遊び相手になる。私と主人が友人の両親と仲が良く、特に日本人贔屓なので、行くと両親の機嫌がいい。友人の妹夫婦とも懇意にしており、私たちが部屋を使うことについて文句を言われないなど裏事情が

夜景も綺麗 テラスからの眺め

そして、私が料理が好きな上に、長時間(2時間が限度)海辺にいるのが嫌いで、さっさと海から上がり、見知らぬ土地のスーパーや市場を嬉々として巡り、買い物を済ませて、食事の支度をしに帰るため重宝がられて毎年いつ来る?と夏休み前から電話をくれるのです。

私はといえば、子供の面倒を見てもらえて、海辺の涼しい快適な別荘で過ごせて、海産物を使って思う存分料理できるわけですから、文字通りギブアンドテイク。

今年も一週間すっかりお世話になり、真っ黒に日焼けして帰ってきたのでした。お願い、もっといて!と友人夫婦に懇願されましたが、ずっと行きっぱなしというわけにもいかず、ワクチン接種も待っていたので後ろ髪引かれながらフェリーに乗り込み帰ってまいりました。

子供たちが家に帰れば帰ったで、秋からの仕事の算段やら、家の修理の左官屋や電気屋の采配やら 3度の食事プラスおやつの用意、家事全般などなどという訳ですっかりブログも書けずにおりましたが、子供たちの宿題時間に少し頑張って書かなくては。

不在の間、畑の野菜もぐんぐん育っておりました。